ついに!たどり着いたぞ!島に着く200m前くらいから海底が見えていた.それは遠浅気味でしかも,真っ白できれいな
砂が手つかずのままの様だった.
3mくらいの水深で海底が良く見え,潜って触ってみるとさらさらと透き通った自然を感じることができ,ちょっと感動.
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無人島と聞いていたが,かなりの人がいた.猿島は観光地になっていて横須賀三笠公園からのフェリーで
カップルなどが来ているのだった.島全体には100人くらい いたのであろうか.バーベキューセットの貸し出し
施設や,観光売店もあった.
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三笠公園からの往復フェリー.帰りはフェリーで帰ろうかな.なんて思っていら,従業員の呆れた態度に憤慨!! 続く↓
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猿島頂上付近にある偵察台?の上から北を見ると,木と木のはざまに,横浜ランドマークタワーが.(写真中央にほんの微かに映っている)
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↑の続き: フェリーには往復料金しかないらしく.帰りだけ乗っていくということは
できない.「泳いで
来た人は泳いで帰ってください.」とのことでした.
しかし,このフェリーにはムカムカしました.私は値段を聞いているだけで,「そこを何とか乗せてください!」と
頼んでいるわけでもないのに,やたらと横柄な態度で 私のことを違法侵入者呼ばわり
です.他のお客さんが乗る時も,やたらとせかしたててなんか妙に威張っています.
「ライバル会社がいないとこんなに横柄になってしまうのか」と思いました.(この島に17:00以降まで
滞在していると米軍の居残り点検隊に発見され,送検されます.この島は昼はレジャーランド&憩いの場ですが夜は
安全保障上の問題でゲリラなどの拠点となるため出入りは禁止されています.フェリーの最終便は夏は17:00 冬は16:15です.)
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これが猿島の地図.周囲は約1.6km.旧軍の施設がそのまま残る要塞島である.東京湾には昔,10の島があった
らしいが,埋め立てなどにより,現在,東京湾に浮かぶ島は猿島だけであるようだ.
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島に浜辺は私が上陸した西側だけで残りはこのような岩場,断崖絶壁である.少しもぐったりして猿島周辺海域の
水中の生態系を観測してみたかったが,帰りの燃料(体力)を気にして,徒歩での散策のみ
とした.
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ここは旧軍が整備した砲台後で,この島には5つの砲台後がある.この島は,ペリー来日以来
軍事的に重要な島で,幕府はアメリカの再来日に備えてフランスから買い入れた砲をこの島に据えて
迎え撃つ準備をしたのが始まりである.太平洋戦争中は東京湾を直接防護する島として,今は,横須賀米軍基地
を直接狙える重要地点として様々な価値を持った島である.
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島の最東側にあるお堂.波で削り取られたような?人間が掘ったような?砲撃をしのぐための
空間があった.その中に偶像がおいてあり,祭られているようだった.地震があったら崩れてしまいそうなその空間は
しっとりとひんやりと,時代がタイムスリップしたような雰囲気で,東京から目と鼻の先に戦時中のような異次元空間を
感じることができた.
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いよいよ帰る時が来た.陽射しはだんだん弱くなり,代わりに風邪が体温を奪う.
まだ,出発した時には明るく暖かかったが,帰路の4分の3ほど来たところで
夕焼けになり,雰囲気的に悲しくなってきた.そして,視界がだんだん狭くなり,船からの漂流物(私)の発見も
困難になっていたことから,轢(ひ)かれたら大変だと思い,四周警戒を慎重に行った.
スクリューに巻き込まれたら,一昔前の流行の最先端であった肉骨粉(ニクコップン)になってしまう.
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これが泳いでいるときに本土を見た風景だ.昼は島と言う目標ははっきりしていたので,進路維持は楽であったが,帰るときは
明確な目標がないために浮上してしばらく目を凝らして見なければ一定の方向へ進むことができずに進路を誤る.
そして,ついに日が沈んだ.したらとたんに,さぶい!! 海面から30cmくらいは何とか
泳げるがその下ははっきり言って冷たい.季節は秋から冬にかけてであった. そうこうするうちに,私の旅にも終わりが近づいてきた.
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とりあえず,猿島をバックに,曳航してきた荷物袋を持って,記念撮影.公園のベンチに座っていた夫婦に,
「寒くないですか?」と心配された.
いやー有意義な休日だった.できれば,友達と行きたかったものだが,以前誘ったら,泳いでは行かないといわれていたので
今回は単独行動となった.
一人だと,不意の事故に対処しにくいし思い出を共有できないので少し寂しいが,まあ,こんな馬鹿なことに
つきあう奇特な奴も滅多にいないと言うことで.
島に着いたとき,めちゃくちゃ腹が減って何か食べようと思い,用意したお金を探した.しかし,「ねえ!」
靴の中,ゴミ袋の中,ゴミ袋を開封した周辺など,あらゆる所を探したが見つからなかった.
くぅ〜.腹ぺこのまま,島を探検し,帰らなければならず,
燃料的に心配であったが,気合いでカバーし乗り切った.本土に帰り着いて,残置しておいたジャージズボンの
ポケットの中を見てみると・・・・やっぱり入っていた.いとかなし.でも,誰かにジャージごとぱくられていなくてよかったなぁ.
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