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京湾に浮かぶ無人島 猿島 泳破 回顧録   2004/03/06
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思い立ったが吉日! 思い切って計画実行
猿島(さるしま)とは →
横須賀市猿島のHP

ャンスは突然やってきた・・・
 それは季節が秋から冬にかけての振り替え休日の日だった.振り替え休日とはつゆ知らず,職場に行くと人があまり居ない. 定刻になっても人が全然居ない.それでも気づかず,昼までシコシコやっていた.そんなさなか,そういえば昨日のラジオで3連休がどうのと行っていたような気がする. 手帳を見るとその日の日付が赤く表示されていた.


くぉQooが渋い顔の中にうれしさをみせるあの顔
Qoo  別に休日だろうが平日だろうがやることは変わらん.
 そう強がって,自分が振り替え休日を知らなかったことを隠蔽しようと試みるが,無駄なあがきであった.  正午過ぎの昼下がり,あまりにも陽気な日差しが窓から差し込んでいた.ぽかぽか気持ちよさそうだ.  「せっかくだから,この陽射しが気持ちいいうちにランニングにでも行くかぁ」 と考えていた.
 「待てよ・・・今日は休日.休日しかできないことをしよう.」 そう考え,以前から思い描いてはいたが,なかなか実行できなかったあの 「東京湾に浮かぶ無人島”猿島”へ泳いで行く」という
 大和男子の野望を実行に移すこととなった.


いたったが吉日生活.

これが最後の写真になるとは・・・うそ.

 途端に「遠征」を決意した私は,作戦のコンセプトを「軽快・冒険」とし,実行を開始した.  準備運動代わりに40分走って,ダイビングポイントを決定し,そこから装備を調え,ダイヴするということだ.ひょっとして, 最後の写真になるやもしれないと思い,急きょ写真を一枚撮影.(でもピンボケ気味で遺影には使えない. しかも,沈没した場合はこの写真は使えない.という悲しい写真.)
01
ゴミ袋はいったい何に使うのか?

 所持品はこのデジカメFinePix50iとその音楽用イヤホン,ビニール込み袋x3,ひも約3m,現金2000円, あとは,私の体と着ている服(Tシャツ,ジャージズボン,海パン,靴下,靴)である.お金は,必要なかったが, 「地獄の沙汰も金次第」と言うことで,もし,私が東京湾に沈殿するような事態のために持参することとした.
02
南から見た猿島

 これが,東京湾に浮かぶ無人島,猿島.南側から撮影したもの.ここからではやく3〜4kmある.右の写真とは ちがい,島全体が緑に包まれている.
03
西から見た猿島

 ここから猿島に突入することを決意した.ほとんど真西から猿島を攻める形になる.距離は約1.7km.  ここが最短距離となるポイントのようだ.
04
 船の往来は比較的少なく,岸辺にはたくさんの人がいて,見せびらかすにはいい感じだ.
 冬が始まり出すこの時期,泳いでいるようなたわけは 当然,一人もいなかった.バーベキューをする人や,犬と戯れる人を後目に,私はおもむろに服を脱ぎ出す.脱いだ服を, ゴミ袋に入れる.靴,シャツ,デジカメも入れ,防水対策のため,結んだゴミ袋をまたゴミ袋で包み,3重のゴミ袋を 作る.それをひもで結び,海水パンツへくくりつける.ジャージのズボンは重いので,岸辺に置いていくことにした.  ゴミ袋と海水パンツが連結され,ズリズリと引きずるその哀れな姿に,周りの人は「こいつ,まさか?」という視線を向けていた.
05


いでいる最中は写真が撮れない!
タイムテーブル
 13:00頃決心&準備
 140:0頃出撃(テイクオフ)
 14:40 ダイブポイント到着
 14:45 着水,出発
 15:32 猿島到着
 16:35 猿島出発<
 17:20 ダイブポイントへ生還
 海を泳ぐのは久しぶりでしたが,別段,辛くなることもなく40分くらい楽しく泳ぐことが できた.しかし,20分過ぎくらいから口の中が塩塩で「これぞ海や」などと思えることは感慨一塩であった. 出発の 時は結構猿島って近いなぁと思っていたが,大きいものは見た目よりも近くに見えるものだ. (以前,私は東京の品川駅付近から,東京タワーが見えたので,「お!なんか近そうだな.ちょっと行ってみるか!」と思い,歩いて行ってみることとした. そして歩くこと4時間.途中で何度あきらめようかと迷ったが,敗北感からの逃避を続ける羽目となり,とっても遠かったという記憶がある.
 今回もそれはある程度当てはまり,20分ほど泳いでも,いっこうに島は近くなった気が しなかった.(岸は結構遠くになっていたが)
06

 泳いでいるときに最も気を付けたのは船であった.  私の存在に気づかずに蹂躙されたらミンチになってしまう. そして,私が文字通り「海の藻屑」と消えていく中でまさか, 東京湾を一人で泳いでいた!なんていうことは知るよしもない残された妻子は,拉致被害者の会に入会してしまうかも知れない.  というわけで,以下の泳ぎ方に最新の注意を払った.

 泳ぐ → 船探す → 泳ぐ → パンツに結んであるひもの先に袋があるか確認  → 泳ぐ → 進路目標確認 → 泳ぐ → サメが近くにいないか確認  → そして,静かに泳ぐ → 曳航しているひもが足に引っかかって指が痛い  → 絡まらないように泳ぐ → 釣りをしているオジサンの釣り針で私の曳航袋に穴が あかないか確認 → 泳ぐ. → 繰り返し・・・・ こんな感じでした.
07

 泳ぎ切る自信はあったので,何も不安にはならなかったのだが,下を見ると真っ黒い海水が広がっており,海底は当然 見えなかった.ふと,西部警察を思いだし,「 いったい何人のしくじってしまった方々が『魚の餌』になってしまわれたことか. いったい何人の『足だけコンクリートで固められてブクブク沈んでいった方々』 『ドラム缶詰めにされた薬中』が,この東京湾の海底に鎮座しておられるのだろうか?」を考えた. 「なんか,手だけ見えたらやだなぁ」なんて思いながら,平泳ぎで両手をあわせる度に少し祈りを捧げながら泳いでいった.
08


京湾に浮かぶ唯一の無人島「猿島」

 ついに!たどり着いたぞ!島に着く200m前くらいから海底が見えていた.それは遠浅気味でしかも,真っ白できれいな 砂が手つかずのままの様だった.  3mくらいの水深で海底が良く見え,潜って触ってみるとさらさらと透き通った自然を感じることができ,ちょっと感動.
09

 無人島と聞いていたが,かなりの人がいた.猿島は観光地になっていて横須賀三笠公園からのフェリーで カップルなどが来ているのだった.島全体には100人くらい いたのであろうか.バーベキューセットの貸し出し 施設や,観光売店もあった.
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 三笠公園からの往復フェリー.帰りはフェリーで帰ろうかな.なんて思っていら,従業員の呆れた態度に憤慨!! 続く↓

 猿島頂上付近にある偵察台?の上から北を見ると,木と木のはざまに,横浜ランドマークタワーが.(写真中央にほんの微かに映っている)
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 ↑の続き: フェリーには往復料金しかないらしく.帰りだけ乗っていくということは できない.「泳いで 来た人は泳いで帰ってください.」とのことでした. しかし,このフェリーにはムカムカしました.私は値段を聞いているだけで,「そこを何とか乗せてください!」と 頼んでいるわけでもないのに,やたらと横柄な態度で 私のことを違法侵入者呼ばわり です.他のお客さんが乗る時も,やたらとせかしたててなんか妙に威張っています.  「ライバル会社がいないとこんなに横柄になってしまうのか」と思いました.(この島に17:00以降まで 滞在していると米軍の居残り点検隊に発見され,送検されます.この島は昼はレジャーランド&憩いの場ですが夜は 安全保障上の問題でゲリラなどの拠点となるため出入りは禁止されています.フェリーの最終便は夏は17:00 冬は16:15です.)
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猿島の地図,全周1.6km

 これが猿島の地図.周囲は約1.6km.旧軍の施設がそのまま残る要塞島である.東京湾には昔,10の島があった らしいが,埋め立てなどにより,現在,東京湾に浮かぶ島は猿島だけであるようだ.
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東の岩場

 島に浜辺は私が上陸した西側だけで残りはこのような岩場,断崖絶壁である.少しもぐったりして猿島周辺海域の 水中の生態系を観測してみたかったが,帰りの燃料(体力)を気にして,徒歩での散策のみ とした.
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砲台跡

 ここは旧軍が整備した砲台後で,この島には5つの砲台後がある.この島は,ペリー来日以来 軍事的に重要な島で,幕府はアメリカの再来日に備えてフランスから買い入れた砲をこの島に据えて 迎え撃つ準備をしたのが始まりである.太平洋戦争中は東京湾を直接防護する島として,今は,横須賀米軍基地 を直接狙える重要地点として様々な価値を持った島である.
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こ寂しい偶像

 島の最東側にあるお堂.波で削り取られたような?人間が掘ったような?砲撃をしのぐための 空間があった.その中に偶像がおいてあり,祭られているようだった.地震があったら崩れてしまいそうなその空間は しっとりとひんやりと,時代がタイムスリップしたような雰囲気で,東京から目と鼻の先に戦時中のような異次元空間を 感じることができた.
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いよいよ本土を目指す

 いよいよ帰る時が来た.陽射しはだんだん弱くなり,代わりに風邪が体温を奪う.  まだ,出発した時には明るく暖かかったが,帰路の4分の3ほど来たところで 夕焼けになり,雰囲気的に悲しくなってきた.そして,視界がだんだん狭くなり,船からの漂流物(私)の発見も 困難になっていたことから,轢(ひ)かれたら大変だと思い,四周警戒を慎重に行った.  スクリューに巻き込まれたら,一昔前の流行の最先端であった肉骨粉(ニクコップン)になってしまう.
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海中から

 これが泳いでいるときに本土を見た風景だ.昼は島と言う目標ははっきりしていたので,進路維持は楽であったが,帰るときは 明確な目標がないために浮上してしばらく目を凝らして見なければ一定の方向へ進むことができずに進路を誤る. そして,ついに日が沈んだ.したらとたんに,さぶい!! 海面から30cmくらいは何とか 泳げるがその下ははっきり言って冷たい.季節は秋から冬にかけてであった. そうこうするうちに,私の旅にも終わりが近づいてきた.
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公園のベンチに座っていた夫婦に,「寒くないですか?」と心配された.
 とりあえず,猿島をバックに,曳航してきた荷物袋を持って,記念撮影.公園のベンチに座っていた夫婦に, 「寒くないですか?」と心配された.


 いやー有意義な休日だった.できれば,友達と行きたかったものだが,以前誘ったら,泳いでは行かないといわれていたので 今回は単独行動となった.  一人だと,不意の事故に対処しにくいし思い出を共有できないので少し寂しいが,まあ,こんな馬鹿なことに つきあう奇特な奴も滅多にいないと言うことで.
 島に着いたとき,めちゃくちゃ腹が減って何か食べようと思い,用意したお金を探した.しかし,「ねえ!」 靴の中,ゴミ袋の中,ゴミ袋を開封した周辺など,あらゆる所を探したが見つからなかった. くぅ〜.腹ぺこのまま,島を探検し,帰らなければならず, 燃料的に心配であったが,気合いでカバーし乗り切った.本土に帰り着いて,残置しておいたジャージズボンの ポケットの中を見てみると・・・・やっぱり入っていた.いとかなし.でも,誰かにジャージごとぱくられていなくてよかったなぁ.
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が暮れてさぶかった
 こうして,私のスタンド・バイ・ミーも幕を閉じた.ご飯を食べていなかったということもあるが, 作戦前夜の体重と,作戦完了後の体重をくらべると2.5kgも軽くなっていた.泳ぐということは見かけ以上に 体力を使うというのは確かであった.この冒険の反省点と言えば,日の暮れる前までにミッションをコンプリート した方がよいということと,水中めがねを掛けていけ!ということでした.目は痛いし,周りは見えないし,水中も見えないし, っというわけでした.
 では,最後に,「よい子はこんなことはまねしないように.」泳いでいる最中に足つったら 大変だよ.くれぐれも『東京湾の魚の餌』にならないようにね.
















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